第33回NPO塾全協全国研修大会の報告
平野芳英

 2007年11月3日、NPO塾全協全国研修大会 in  沖縄、「沖縄から日本の教育を考える~甦れ日本の子どもたち」がロワジールホテル那覇で催されました。
全国研修大会はかつて広島や奈良など地方で催されたことがあるものの長らく塾全協東日本ブロック主催で東京を中心に催されてきました。それが今回初めて沖縄で開かれた経緯は、3年前に12年ぶりに西日本ブロック主催で大阪で研修大会が催されたことがきっかけとなっています。そのとき、西日本ブロックの理事長であった後田多純寿の強い要望によって次に西日本ブロック主催で開く時は必ず沖縄で、ということになり今回の開催に至りました。その日行われた内容を一部に過ぎませんが紹介させていただきます。

基調講演は今年2月にNHKで放送された「インドの衝撃」の担当ディレクターである天川恵美子さん。
ブリックスレポートによると2032年にはインドは日本を超える経済大国になるらしい。(BRICsというのは、ブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字を並べた台頭する新興大国を意味する造語で2003年にアメリカの証券会社が投資向けレポートで初めて使用して以降広く使われるようになったそうである。それによると2050年にGDPは中国、アメリカ、インド、日本、ブラジル、ロシアの順番になるとの予想である。おお、まだ日本は4位だ。)
年率8.8%という驚異的なインドの成長率を支えるのがIT産業である。すでにアメリカのIT関係の会社には多くの優れたインド人技術者(その中には様々な分野でトップクラスの地位に昇っていく人たちも現れている)が働いていて、その高い教育を受けた技術者たちをインド国内で大量に産み出している多くの大学の頂点に立つのがインド工科大学である。毎年5千人の入学者に対してその60倍の30万人の受験者が殺到する。学生たちは基礎知識を学ぶなか、独創的で優れた解き方を考案すべく日夜しのぎを削っているという。
 かつて1947年インド独立のころのネルー首相は、貧しいインドで唯一の資源である「頭脳」によって国家を創っていくことがインドの生きる道だと考え、技術エリートの人材養成を急務としインド工科大学は設立された。その設立当初から世界一の大学を目指していたというが、当時は壮大な夢でしかなかったものが、今日現実に一歩一歩近づきつつある。
1960~70年代にはインド経済の停滞のために卒業生の約半数が活躍の場を求めてアメリカに渡らざるを得なかっが、彼らは行く先々で類希なる才能を開花させていったという。何十年先を見据えた優れた政治家の判断が今日、花咲こうとしているインド国家の礎を創ったといえるだろう。
ビデオで流されたインド工科大学にインド一の合格率を誇る塾は意外にもたいへん貧しい地域にあった。その設立者クマール先生は人並はずれた才能の持ち主でケンブリッジ大学に入学を許可されながら、経済的理由のために断念せざるを得なかったという。1000人が一斉に大教室で授業を受けている様子は教室からあふれて外で立ったまま授業を聴く子供たちもいて壮観であったが、貧しかったけれどどこか希望があったかつての日本の姿がリンクしてくる。
 高い経済成長の陰で、インドは多くの問題を抱えている。なかでも貧困は今なお深刻であり識字率は65だという。学校に通っていない子も多く日本の中学生に相当する年齢の進学率は61である。また10億人という膨大な人口の中で意思統一的な国家的プロジェクトを実行していくには強大な権力の行使が必須であろうし、政治的な権力闘争が長引けば、国家的プロジェクトは混乱に陥る危険があり停滞を余儀なくされる。
乗り越えるべき幾多の問題はあるが、そのような危険をはらみながらもインドがこれから発展していく中でそれらの問題を解消していく力を持った国になりつつあるのは疑いの余地がないであろう。それはインドの人々が未来を信じることができるということでもある。
持参したDVDが機械の都合で映らないという中、次々と興味深い話を進めていかれる天川さんの手際の良さは放送界の人でもある故か、みごとなものだった。

第2部のパネルディスカッションは灘中高の教頭の倉石寛さん、沖縄出身で東京大学2回生の山田康智さんのお二人には日本の高いレベルの教育について、第1部の天川恵美子さんには海外から見た日本の教育について、塾全協会長の後田多純寿は沖縄の教育について、4人の方々に語っていただいた。

初めは倉石寛さんの「私学の良い点」について。
灘は創立80年ほどになるが中高6学年合わせて1100人ほどのこぢんまりした学校で、現場の教師たちは、公立のように他の学校へ移動することもなく、学校運営も含めて自分たちが中心となって学校を作ってくることができた。高い学力を造るため早くから6年間を見通した授業が行われ、そのカリキュラムは幾度となく文科省によって改訂されてきた指導要領の変化とも全く関係なく、昭和20年代から30年代に作られたものと現在も基本的に変わっていないという。現在でも中学の幾何に週5時間の授業が費やされ、各教科で一人の教師がずっと同じ生徒たちを6年間持つシステムであるそうだ。これは一学年4クラスしかないから可能なことであり、例えば6クラスになると教師が2人必要で、そこに調整や妥協という学校の都合が入らざるを得なくなる。他の科目の先生もずっと同じ生徒を持ち上がっていくので先生同士の仲間意識ができるし共同責任もでてくる。先生の出勤簿もないそうだ。先に話された「現場の先生たちが中心になって運営している」ことが具体的に伝わってくるお話だった。また土曜は通常授業がなく、OBが来て様々な面白い授業をしているそうである。
 倉石先生は話しているうちに人の良さが自然とにじみ出てくる方で、実に楽しそうに話をされていた。
 沖縄国際高校の出身で東京大学2回生の山田康智さんは、東大では学部やコースが入学してじっくり時間をかけて考えてから選択できるので、その点が他の大学と比較して東大のいいところだという。ゼミや研究室で行われている内容にじかに接していくと自分が求めている興味の対象が具体的に見えてきて、より自分の進む道を理解しながら選択できるのは大きな魅力だと感じているそうだ。自分の進みたい学科にいくためにはそれだけの成績がとれないと進めないのでみんなよく勉強するという。一見すると今風の細身のイケメン青年だが、話し出すと落ち着いてしっかりしていることがすぐにわかる。大学の同級生には独創的な思考の持ち主たちがたくさんいて、知的好奇心がズンズン刺激されそういう中に自分がいられることがとても楽しいらしい。
天川恵美子さんによると、インド式算数の本がいま流行っているけれども、現地で色んな人に尋ねたけれど、インド人があのようにみんなが暗算できるわけではない。そうではなくそれだけ数字を楽しむ風土がインドにあるということだ。それは家庭や学校に普通に入り込んでいる。そのことが自然と数字に強くなり、算数に対する興味がでてくることにつながっていると話しておられた。さすがその昔ゼロを発見した国である。話を聞いていると風土というものは一朝一夕でできるものではないなとつくづく思う。ネールが頭脳立国をめざしたのもそれを可能にする風土がインドに古くからあったからであろう。
きびしい話もでた。
 後田多純寿は、先般行われた全国学力テストで沖縄が最下位であったことをおおいに嘆きつつ、同時に激しい怒りを感じるという。それは我々指導者の責任であり、沖縄の学校や塾の指導者はもっと勉強し研鑽を積むべきであると主張する。
 日本の中の沖縄の現状は、世界の中の日本の現状とつながっている。日本は経済的に豊かになったことに満足して次代を担う子供たちの教育を忘れてしまった。それは世界の激しい競争の中で勝ち抜いていくことができないことを意味している。沖縄も同様に今のままでは日本の中で勝ち抜いていくことはできないだろう。人情味豊かで地域を大切にする風土は素晴らしいがそれだけでは生きてゆくことはできない。だから子供たちのために、我々指導者が全力で努力をしていくしか生き残る道はないのだという。
 コーデイネーターの中村勲は、就職しても3年以内にやめる若者は36(15年前の1.5倍)に達し、やめる理由で「もっと安定した職に就きたい」人は10年前の2倍に達していることをあげて、日本の若者はこのグローバル化の時代にやっていけるのか、職場に外国人がどんどん入ってくる時代になってよい刺激を受けることもあるだろうが、果たしてこれからどうなっていくのかと問題提議をした。
 倉石さんは、灘でも成績が良くても意欲のない子、自分から学ぼうとしない子が増えていて、その原因は親が先まわりすることによっていると指摘した。
 成績が下がればすぐに家庭教師をつけてしまう。それでは、挫折して自分で考えてそれを克服していく経験ができないので、社会人になるための力が造られないままに大人になっていく子が育ってしまうという。
 天川さんは、日本人は優れた技術を持っていてもそれを国際的に生かすための知恵や交渉力が欠けている。それに比べて、インドでは工学部出身者でも経営学を修めてマネージメントの力をつけていると言われた。
 後田多はその話を受けて、日本人がクジラを何故食べるのかを外国に説明できないという例をあげてディベイト力不足を指摘した。
 沖縄は学力の低さと結びついているが個人平均所得も全国最下位であり、何より後田多が問題にしたかったのは、そのような事態がずっと続いているにもかかわらず、沖縄をなんとかしなければならないと、誰もが考えようとしないことではなかったかと思われる。「沖縄はいつも蚊帳の外にある…」こんな思いを抱きながら、今回の大会に賭ける後田多の思いは特別のものがあっただろうし、 閉会の挨拶の前の沖縄宣言にもそれは表れている。
 「・・・・資源に貧しい我が国こそ、まさに「頭脳立国」でしか豊かな国・日本を維持し続けることはできないと、誰もが考えるのではないでしょうか。・・・・中略・・・沖縄の豊かな自然環境の中で、人情味あふれる社会環境の中で成長する子ども達も、将来否応無く厳しい競争の波にさらされることになり、その中で生き抜く力を身につけなければなりません・・・」
 ここには教育の充実、確かな学力の向上にしか日本、沖縄の将来はないという確信がある。そのための同志を一人でも多くつくっていきたいというのが後田多の積年の願いではないだろうか。
東日本ブロック理事長の菅原明之の閉会の挨拶は、東京でも子供たちに対する教育への努力は日々行われていること、教育は各人がそれぞれの地域でやっていくしかないことを情熱的に語ったものであった。
また今大会には久しぶりに前西日本ブロック理事長村上宏典の元気な姿も見ることができた。最後に裏方の苦労というのはいつもながら大変なものだが、今回の大会も事実、沖縄の津田塾の金城早代子はじめ多くのスタッフの人たちの働きぶりや大会実行委員長山下典男もその例に漏れず、講演者の選定、交渉から懇親会まで多大の時間と労力を費やしたことをあえて記しておきたいと思う。 
懇親会ではみごとな沖縄の民謡や舞踊が披露され忘れがたいものになったことも追記したい。
始めに書きましたように、実際にその日に話された内容のごく一部しか紹介できませんでした。 個人的な感想ですが、この日うかがったお話は、様々な問題提議であって解決法はまだずっとその先にあります。それはこれからまた各人が考えていかねばならないことですが、様々な問題提議をできただけでも有意義な大会であったと手前みそながら感じました。
 「インドの衝撃」については10月30日に文藝春秋刊で同タイトルで本になりましたので、興味がおありの方はそちらをご覧下さい。

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